ホームページの事、返信、妄想、ブックレビューに愛を叫ぶ準ブログ。偏愛なので準が付く、そういうことを書いております。
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お返事お待ち下され…!いま右手と左手じゃ足りないです(意味不明)。
遅筆だと普段から公言していますが、どれくらいかと言うと8月ごろに書き始めたのが終わってない程…。長編だから仕方がないのですが、絶対に書き終わりたいものなので時間がある時にちまちま作業してるんですが終わらない…。
それを少し公開してみます。
※江戸時代と彩雲設定を併用してるややこしい世界の話です。王が存在し王都があり官制も彩雲を参考にしています。八州にわかれていますが着るものは江戸っぽく。
遅筆だと普段から公言していますが、どれくらいかと言うと8月ごろに書き始めたのが終わってない程…。長編だから仕方がないのですが、絶対に書き終わりたいものなので時間がある時にちまちま作業してるんですが終わらない…。
それを少し公開してみます。
※江戸時代と彩雲設定を併用してるややこしい世界の話です。王が存在し王都があり官制も彩雲を参考にしています。八州にわかれていますが着るものは江戸っぽく。
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楸瑛がその道を歩くときはいつも一人だ。真夏の光に浮かぶ衣の藍は生い茂る緑にも負けない程目に痛い程深く、閑散としているこの小道の周辺では目立っているのだが不思議とあまり気にする人はいない。必要以上に整っていると評された顔を隠すように笠を被り気配を消しながら背後にも気を使う徹底ぶりは、楸瑛と歳があまり変わらないくせに所在を知られたくないと隠居した老人のようなことを言う人相評論をした彼のためだった。
笠にすっぽりと隠されてしまった髪の色は瞳と同じ上等な漆黒。その頭が少し揺れた。
懐にしまった銀時計を開ける。黒と見紛う様な深い藍で書かれた二匹の龍が相対している文字盤は、正午を過ぎてからニ刻程経っていることを示していた。
一番暑い時間は過ぎていた。
商人町の外れから続くこの細道は周りを草木に囲まれ、しばらくは川と並行するように走っている。後ろの方で女の泣く声が聞こえた。毎年のようにこの時期になると水難事故が続く。きっとそれなのだろう。命の限り鳴き続ける蝉の大合唱は頭が痛くなる程だ。
熱風が頬を掠める。
楸瑛の顔は夏に倦んでいるように見る人が見なければわからない程僅かに沈んでいた。
喧騒から完全に離れ、しばらく歩くとまるで忘れられたような場所にそのあばら家はひっそりと楸瑛を待っていた。一見すると無人の家かと思うが、主をなくした建物の荒廃は早く、それとは違うと解るくらいに間口は小奇麗にしてある。でも近くに民家はなく町までは徒歩で半刻程という立地が、この家の住人は人嫌いではないとは知っていても苦笑を禁じ得ない。
――着いてしまった。
前もその前ももっと前も。楸瑛にとってこの家を訪ね彼と語ることはずっと楽しみでしかたなかったのに今は憂鬱だった。
後悔、諦め、希望。ぐちゃぐちゃに混ざり合って何が何だが楸瑛は自分でも解らなくなる。それでも途中から鉛のように重くなった足は遅くなっても止まることはなく、吸い寄せられるように間口まで楸瑛を引き寄せた。
この段になって往生際悪くせめて彼がいなければいいと思えるほど将軍職を預かる楸瑛は無能ではなかった。家の中に人が動く気配がする。
引き戸に手を掛け音を立てて開けた。
三和土の向こう、少し離れたところに白い横顔が浮かび上がる。楸瑛の訪いに気付いているはずなのに珍しい銀糸を持った彼は手元の漆が黒く光る木組に真剣な目を落とすだけで、無視を決め込んでいる。まるで空気の様なあつかいはいつものことで、楸瑛はそれに少し安堵した。彼が前と変わっていない事に。この家を去る頃にはどうかわからないが。
「久しぶり、絳攸。元気そうでなによりだね」
笠を脱いで挨拶をすると、片足をたてて作業している絳攸は億劫そうに顔を斜め上の楸瑛まで向けた。射殺されそうな鋭い視線とぶつかった瞬間、楸瑛が僅かに目を細めるのは癖で、それを受けた絳攸がさらに眼を釣り上げるのもいつものことだ。
「帰れ。二度と来るなと言ったはずだ」
取りつく島もない様な言葉にも楸瑛は臆さない。この家に度々通うようになってからというもの一度も歓迎された事が無いから慣れたものだった。
「暇なんだ。私の相手をしてくれない?」
「役人が真昼間から人の商売の邪魔をしに来るほど暇だとは腹立たしいな。変な噂がたって商品が売れなくなったらどう責任を取るつもりだ」
「冗談を言うなんて私たちの仲が深まった証拠で嬉しいよ。もし君の商売が立ち行かなくなった時は私が君をお嫁に貰うから心配いらないよ。それに私は武官が暇な世なんて平和で理想的だと思うけど。民には歓迎されてる」
「ただでさえ冗談みたいな顔をしるのにもっともらしく冗談を言うな。暇を持て余しているなら数を減らせ。そして税率を下げろ。そうしたらもっと歓迎されるぞ」
楸瑛は肩をすくめて室内に上がりこんだ。正論だろうと異論があろうと武官である楸瑛が口出しすべき問題じゃない。
絳攸の視線は楸瑛に興味を失ったようにもう円錐型の木の枠組みへそそがれている。
「その派手な格好でこの辺をうろつくな。目障りだ」
「ここで脱げって?日の高いうちから君も大胆だね」
言い終わると同時に何かが楸瑛の顔めがけて飛んできた。殺気が籠っていたので避けたあとで見ると、壁に突き刺さっていたのは小刀だった。小さく聞こえた舌打ちを発した人物と凶器を交互に見つめ、危ないね、と呟いた。
「気配を消して目立たないように努めたし、尾行にも気を付けたよ。道も何回も変えたし。それでも嗅ぎまわる事が出来る様な人物なら相当な使い手だろうね。ならばいずれ見つかる」
諦めなよ、と言う様な事を言っておきながら楸瑛はいつもヒヤリとする。
問題はどっちを狙っているかだ。
注意された衣に眼を落した。さらりと音がしそうな布は一転の曇りがない深い藍で染め抜かれている。一目で高価だと解る代物だ。金目当てでも他の理由でも楸瑛が狙われる分には問題が無い。よほどの敵じゃない限り倒せる自信はある。
問題は――。絳攸を見るともう仕事に戻っていた。
黒い木の骨組みに糊を塗り、紅い和紙を張り付けていく。よれないように伸ばしながらするその作業がざ、ざ、ざという音を生み出す。
< 李印の傘。柄の部分に李の印が付いている紅い高級な和傘が王都を中心に大いに流行っている。それを作っているのが絳攸だ。
着流し姿で傘を仕上げていくのが色っぽい。ちゃんとした服に着替えていないから、彼を師のように慕う少女や、彼女と同じくらい彼を尊敬している納入を請け負う金髪の青年は来ないのだろう。大貴族の直系で今年入朝した彼女たちのことを考えれば、なるほど絳攸の商売は叩けばほこりが出るかもしれない、とひっそりと思った。ただ会話の端々から絳攸の頭脳がずば抜けて高く、楸瑛は時々舌を巻く。敵わない。そんな気持ちを久しぶりに味わった相手なのだから、証拠は一切ないのだろう。
真剣な顔で紅い紙に向き合う絳攸はそれでも傘職人で、袖をまくりあげられて覗く腕は楸瑛の物より細い。
「君に何かあれば私が助ける。約束するから知らせてくれ」
「いらん。争いごとなら余所でやれ。俺はまだこの家を手放すつもりはないから厄介事は持ち込むなよ。それより二度と来るな」
絳攸は手元に集中しながら何かを投げつけた。今度は殺気を感じなかったので楸瑛は小さなそれを受け止め、掌を開いてみると細長い竹の木片だった。どうやらもっと役立つことをしろというお達しらしい。苦笑しながら壁に刺さった小刀を抜き、勝手に引き出しを開けて同じような木片を持てるだけ持って三和土の隅に置いてある椅子に座った。
小刀を木の棒にあて、先を尖らせるように何度か滑らせる。棘が出ないように仕上げたら楊枝の完成だ。
武官の内職は表向きは禁止されているが下級の者たちは薄給にあえぎ、内職をして糊口をしのいでいるから徹底したら反発も出るだろう。そうやって朝廷は目を瞑っている状態だ。
勿論将軍職を務める楸瑛は給料だけで十分食っていけるし、上に立つ者が規律を破るのは問題だ。でも楸瑛が楊枝づくりに精を出すのはここを訪ねたときだけで、金のためにやっている訳でもないし人嫌いな訳ではないが、絳攸は隠者のような暮らしをしているから解らないだろうと思うと罪悪を感じない。罪とは明るみに出た時に発生するのだ。
絳攸は楸瑛が来る事を快く思っていないが、楸瑛はこの家に来る度に楊枝づくりを仰せつかっていた。
――結局絳攸はそうやって許すのだ。
不器用な優しさを見せられるから楸瑛は通う事を止められない。
さすがに濁酒をちびちびやりながら楸瑛が作る楊枝が納めている和菓子屋で好評らしい、と聞いた時は少々複雑だったがこういうのもいいかもしれない。
そんな安穏は訪れないだろうと悟りながら滑らかな手つきを見ると、楸瑛は本当に上達したと半ば感心し呆れた。
一介の傘職人ごと気が楸瑛に楊枝作りを命じるなんて命知らずと言うか恐れ多いと言うか。世間一般はそういう感想を描くだろうと思うと可笑しくもある。
藍楸瑛。その名は重い意味を持つ。楸瑛の生家藍家は常に権力の中心にいた大貴族の直系で、おまけに楸瑛の実の兄は現当主の座についている。楸瑛の纏う衣の色が禁色とされ権力と結びついていた時代は終わったが、それでも好んでこの色を着ているのは愛着というより矜持だ。禁色の制度だけではなく、貴族に付与されたさまざまな特権は廃止されたが、それでも藍家は今でも方々に強い影響力を保持し続けている。
そんな自分がまさかこんな特技を身につけるとは――。兄弟は面白がるだろうが、分家などの一族の者達はいい顔はしないだろう。
楊枝を削る手を止めて後ろを振り返った。
日に焼けてしまった畳には仕上がった数本の傘とまだ作り途中の骨格が並べてある。
絳攸の作る傘は見事だった。通常の紅無地の和傘とは違い、全てに蝶や花の模様が上品にあしらわれている。傘張りといえば貧乏武官の内職と相場が決まっているが、李印は職人技だ。値段に幅はあるものの一般庶民が迂闊に手だしできる代物ではないため、この紅傘を持つのは上流階級やそれに類似する力を持つ者とされていて、そこまで含めて女性たちの羨望の的となっている。
そんな期代の傘職人、李絳攸は自分が作り上げる和傘の値段に相応しいと思えいないわびしい住まいに身を置き、信頼が置ける者だけに納入を任せひっそりとただひたすら傘を作っている。
――訳ではなく、それは表の顔だ。
楸瑛は楊枝作りを中止して絳攸の正面に座った。絳攸の手によって張り付けられる紅がまるで二人の住む世界が違う事を示すように横たわっている。
「絳攸、頼みがある」
声は楸瑛が抱え込むものが重い事を示すように堅く、たまにしか見せない真剣な顔をしていた。
返事は返って来ない。勝手に話せと意味だろう。
ざ、ざ、ざ。
傘が紅く染まる音だけが響く。
このまま本題に入ってもいいが、それではあまりにも卑怯なので楸瑛はやめた。絳攸とはだれた付き合いなどしたくない。次の一言で利害関係が生じてしまうのだからせめて信頼だけは残しておきたい。
「――君にひと仕事して欲しい」
絳攸の手元には微塵の狂いもない。聞こえていないのではないかと疑ってしまいそうだが、楸瑛はただその作業をじっと見守った。
和紙を張り終わった後、漸く楸瑛を見た。
「藍家が関わるのか」
楸瑛はぎこちなく頷く。
絳攸の顔が明らかに曇った。
解っている。いまだに強大な権力を持つ藍家に関わって眼を付けられたら大事だ。それこそこの家を手放すだけにとどまらず、地の果てまでも追われかねない。
――それでも。
「助けたい人がいるんだ。でも藍家に縛られている私にはどうする事も出来なくて………。絳攸、君の力を借りたいんだ」
こんな絞り出すような声を出したのはいつ以来だろうか。人に頭を下げたのも随分と久しぶりな気がする。そうしているから絳攸が今どういう顔をしているのかが解らない。
風の音もしない沈黙がただ重かった。絳攸が口を開く気配がして肩に力が籠った。
「言ってみろ」
楸瑛は驚いて顔を上げた。断られると思っていたのに。
「聞くだけは聞いてやる」
「絳攸…」
嘘だ。依頼の内容を聞くと言う事は仕事を引き受けるのと同意だ。
絳攸のいつもと変わらない少し不機嫌を装った顔を見て、楸瑛は泣きたい気持ちで微笑んだ。
正攻法では到底通用しない様な問題を裏方面から手をまわし解いて行くのが絳攸の本来の姿だ。
藍家出身で武官である、なによりも身元が明らかな楸瑛はこれまで数回手助けの様な関わり方をしてきたが、仕事の依頼をするなんて初めてだ。
だからかもしれない。
何かが変わる。そんな予感が楸瑛に翳を落とし不安にさせた。
笠にすっぽりと隠されてしまった髪の色は瞳と同じ上等な漆黒。その頭が少し揺れた。
懐にしまった銀時計を開ける。黒と見紛う様な深い藍で書かれた二匹の龍が相対している文字盤は、正午を過ぎてからニ刻程経っていることを示していた。
一番暑い時間は過ぎていた。
商人町の外れから続くこの細道は周りを草木に囲まれ、しばらくは川と並行するように走っている。後ろの方で女の泣く声が聞こえた。毎年のようにこの時期になると水難事故が続く。きっとそれなのだろう。命の限り鳴き続ける蝉の大合唱は頭が痛くなる程だ。
熱風が頬を掠める。
楸瑛の顔は夏に倦んでいるように見る人が見なければわからない程僅かに沈んでいた。
喧騒から完全に離れ、しばらく歩くとまるで忘れられたような場所にそのあばら家はひっそりと楸瑛を待っていた。一見すると無人の家かと思うが、主をなくした建物の荒廃は早く、それとは違うと解るくらいに間口は小奇麗にしてある。でも近くに民家はなく町までは徒歩で半刻程という立地が、この家の住人は人嫌いではないとは知っていても苦笑を禁じ得ない。
――着いてしまった。
前もその前ももっと前も。楸瑛にとってこの家を訪ね彼と語ることはずっと楽しみでしかたなかったのに今は憂鬱だった。
後悔、諦め、希望。ぐちゃぐちゃに混ざり合って何が何だが楸瑛は自分でも解らなくなる。それでも途中から鉛のように重くなった足は遅くなっても止まることはなく、吸い寄せられるように間口まで楸瑛を引き寄せた。
この段になって往生際悪くせめて彼がいなければいいと思えるほど将軍職を預かる楸瑛は無能ではなかった。家の中に人が動く気配がする。
引き戸に手を掛け音を立てて開けた。
三和土の向こう、少し離れたところに白い横顔が浮かび上がる。楸瑛の訪いに気付いているはずなのに珍しい銀糸を持った彼は手元の漆が黒く光る木組に真剣な目を落とすだけで、無視を決め込んでいる。まるで空気の様なあつかいはいつものことで、楸瑛はそれに少し安堵した。彼が前と変わっていない事に。この家を去る頃にはどうかわからないが。
「久しぶり、絳攸。元気そうでなによりだね」
笠を脱いで挨拶をすると、片足をたてて作業している絳攸は億劫そうに顔を斜め上の楸瑛まで向けた。射殺されそうな鋭い視線とぶつかった瞬間、楸瑛が僅かに目を細めるのは癖で、それを受けた絳攸がさらに眼を釣り上げるのもいつものことだ。
「帰れ。二度と来るなと言ったはずだ」
取りつく島もない様な言葉にも楸瑛は臆さない。この家に度々通うようになってからというもの一度も歓迎された事が無いから慣れたものだった。
「暇なんだ。私の相手をしてくれない?」
「役人が真昼間から人の商売の邪魔をしに来るほど暇だとは腹立たしいな。変な噂がたって商品が売れなくなったらどう責任を取るつもりだ」
「冗談を言うなんて私たちの仲が深まった証拠で嬉しいよ。もし君の商売が立ち行かなくなった時は私が君をお嫁に貰うから心配いらないよ。それに私は武官が暇な世なんて平和で理想的だと思うけど。民には歓迎されてる」
「ただでさえ冗談みたいな顔をしるのにもっともらしく冗談を言うな。暇を持て余しているなら数を減らせ。そして税率を下げろ。そうしたらもっと歓迎されるぞ」
楸瑛は肩をすくめて室内に上がりこんだ。正論だろうと異論があろうと武官である楸瑛が口出しすべき問題じゃない。
絳攸の視線は楸瑛に興味を失ったようにもう円錐型の木の枠組みへそそがれている。
「その派手な格好でこの辺をうろつくな。目障りだ」
「ここで脱げって?日の高いうちから君も大胆だね」
言い終わると同時に何かが楸瑛の顔めがけて飛んできた。殺気が籠っていたので避けたあとで見ると、壁に突き刺さっていたのは小刀だった。小さく聞こえた舌打ちを発した人物と凶器を交互に見つめ、危ないね、と呟いた。
「気配を消して目立たないように努めたし、尾行にも気を付けたよ。道も何回も変えたし。それでも嗅ぎまわる事が出来る様な人物なら相当な使い手だろうね。ならばいずれ見つかる」
諦めなよ、と言う様な事を言っておきながら楸瑛はいつもヒヤリとする。
問題はどっちを狙っているかだ。
注意された衣に眼を落した。さらりと音がしそうな布は一転の曇りがない深い藍で染め抜かれている。一目で高価だと解る代物だ。金目当てでも他の理由でも楸瑛が狙われる分には問題が無い。よほどの敵じゃない限り倒せる自信はある。
問題は――。絳攸を見るともう仕事に戻っていた。
黒い木の骨組みに糊を塗り、紅い和紙を張り付けていく。よれないように伸ばしながらするその作業がざ、ざ、ざという音を生み出す。
< 李印の傘。柄の部分に李の印が付いている紅い高級な和傘が王都を中心に大いに流行っている。それを作っているのが絳攸だ。
着流し姿で傘を仕上げていくのが色っぽい。ちゃんとした服に着替えていないから、彼を師のように慕う少女や、彼女と同じくらい彼を尊敬している納入を請け負う金髪の青年は来ないのだろう。大貴族の直系で今年入朝した彼女たちのことを考えれば、なるほど絳攸の商売は叩けばほこりが出るかもしれない、とひっそりと思った。ただ会話の端々から絳攸の頭脳がずば抜けて高く、楸瑛は時々舌を巻く。敵わない。そんな気持ちを久しぶりに味わった相手なのだから、証拠は一切ないのだろう。
真剣な顔で紅い紙に向き合う絳攸はそれでも傘職人で、袖をまくりあげられて覗く腕は楸瑛の物より細い。
「君に何かあれば私が助ける。約束するから知らせてくれ」
「いらん。争いごとなら余所でやれ。俺はまだこの家を手放すつもりはないから厄介事は持ち込むなよ。それより二度と来るな」
絳攸は手元に集中しながら何かを投げつけた。今度は殺気を感じなかったので楸瑛は小さなそれを受け止め、掌を開いてみると細長い竹の木片だった。どうやらもっと役立つことをしろというお達しらしい。苦笑しながら壁に刺さった小刀を抜き、勝手に引き出しを開けて同じような木片を持てるだけ持って三和土の隅に置いてある椅子に座った。
小刀を木の棒にあて、先を尖らせるように何度か滑らせる。棘が出ないように仕上げたら楊枝の完成だ。
武官の内職は表向きは禁止されているが下級の者たちは薄給にあえぎ、内職をして糊口をしのいでいるから徹底したら反発も出るだろう。そうやって朝廷は目を瞑っている状態だ。
勿論将軍職を務める楸瑛は給料だけで十分食っていけるし、上に立つ者が規律を破るのは問題だ。でも楸瑛が楊枝づくりに精を出すのはここを訪ねたときだけで、金のためにやっている訳でもないし人嫌いな訳ではないが、絳攸は隠者のような暮らしをしているから解らないだろうと思うと罪悪を感じない。罪とは明るみに出た時に発生するのだ。
絳攸は楸瑛が来る事を快く思っていないが、楸瑛はこの家に来る度に楊枝づくりを仰せつかっていた。
――結局絳攸はそうやって許すのだ。
不器用な優しさを見せられるから楸瑛は通う事を止められない。
さすがに濁酒をちびちびやりながら楸瑛が作る楊枝が納めている和菓子屋で好評らしい、と聞いた時は少々複雑だったがこういうのもいいかもしれない。
そんな安穏は訪れないだろうと悟りながら滑らかな手つきを見ると、楸瑛は本当に上達したと半ば感心し呆れた。
一介の傘職人ごと気が楸瑛に楊枝作りを命じるなんて命知らずと言うか恐れ多いと言うか。世間一般はそういう感想を描くだろうと思うと可笑しくもある。
藍楸瑛。その名は重い意味を持つ。楸瑛の生家藍家は常に権力の中心にいた大貴族の直系で、おまけに楸瑛の実の兄は現当主の座についている。楸瑛の纏う衣の色が禁色とされ権力と結びついていた時代は終わったが、それでも好んでこの色を着ているのは愛着というより矜持だ。禁色の制度だけではなく、貴族に付与されたさまざまな特権は廃止されたが、それでも藍家は今でも方々に強い影響力を保持し続けている。
そんな自分がまさかこんな特技を身につけるとは――。兄弟は面白がるだろうが、分家などの一族の者達はいい顔はしないだろう。
楊枝を削る手を止めて後ろを振り返った。
日に焼けてしまった畳には仕上がった数本の傘とまだ作り途中の骨格が並べてある。
絳攸の作る傘は見事だった。通常の紅無地の和傘とは違い、全てに蝶や花の模様が上品にあしらわれている。傘張りといえば貧乏武官の内職と相場が決まっているが、李印は職人技だ。値段に幅はあるものの一般庶民が迂闊に手だしできる代物ではないため、この紅傘を持つのは上流階級やそれに類似する力を持つ者とされていて、そこまで含めて女性たちの羨望の的となっている。
そんな期代の傘職人、李絳攸は自分が作り上げる和傘の値段に相応しいと思えいないわびしい住まいに身を置き、信頼が置ける者だけに納入を任せひっそりとただひたすら傘を作っている。
――訳ではなく、それは表の顔だ。
楸瑛は楊枝作りを中止して絳攸の正面に座った。絳攸の手によって張り付けられる紅がまるで二人の住む世界が違う事を示すように横たわっている。
「絳攸、頼みがある」
声は楸瑛が抱え込むものが重い事を示すように堅く、たまにしか見せない真剣な顔をしていた。
返事は返って来ない。勝手に話せと意味だろう。
ざ、ざ、ざ。
傘が紅く染まる音だけが響く。
このまま本題に入ってもいいが、それではあまりにも卑怯なので楸瑛はやめた。絳攸とはだれた付き合いなどしたくない。次の一言で利害関係が生じてしまうのだからせめて信頼だけは残しておきたい。
「――君にひと仕事して欲しい」
絳攸の手元には微塵の狂いもない。聞こえていないのではないかと疑ってしまいそうだが、楸瑛はただその作業をじっと見守った。
和紙を張り終わった後、漸く楸瑛を見た。
「藍家が関わるのか」
楸瑛はぎこちなく頷く。
絳攸の顔が明らかに曇った。
解っている。いまだに強大な権力を持つ藍家に関わって眼を付けられたら大事だ。それこそこの家を手放すだけにとどまらず、地の果てまでも追われかねない。
――それでも。
「助けたい人がいるんだ。でも藍家に縛られている私にはどうする事も出来なくて………。絳攸、君の力を借りたいんだ」
こんな絞り出すような声を出したのはいつ以来だろうか。人に頭を下げたのも随分と久しぶりな気がする。そうしているから絳攸が今どういう顔をしているのかが解らない。
風の音もしない沈黙がただ重かった。絳攸が口を開く気配がして肩に力が籠った。
「言ってみろ」
楸瑛は驚いて顔を上げた。断られると思っていたのに。
「聞くだけは聞いてやる」
「絳攸…」
嘘だ。依頼の内容を聞くと言う事は仕事を引き受けるのと同意だ。
絳攸のいつもと変わらない少し不機嫌を装った顔を見て、楸瑛は泣きたい気持ちで微笑んだ。
正攻法では到底通用しない様な問題を裏方面から手をまわし解いて行くのが絳攸の本来の姿だ。
藍家出身で武官である、なによりも身元が明らかな楸瑛はこれまで数回手助けの様な関わり方をしてきたが、仕事の依頼をするなんて初めてだ。
だからかもしれない。
何かが変わる。そんな予感が楸瑛に翳を落とし不安にさせた。
一幕:傘作りの絳攸
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