ホームページの事、返信、妄想、ブックレビューに愛を叫ぶ準ブログ。偏愛なので準が付く、そういうことを書いております。
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(※気持ち悪いくらいにとにかく愛を叫んでます!)
友達に勧められて本屋でデビュー作の京極堂シリーズ1作目「姑獲鳥の夏(うぶめのなつ)」を探しに行ったらおいてなくてかわりにシリーズ2作目の「魍魎の匣(もうりょうのはこ)」を買って読んで。
落ちました。垂直に高速墜落。
それから京極堂シリーズを買いあさり読みあさり、京極堂シリーズじゃないのにも手を出し。使ったお金は―――後悔してないから考えない!まだ文庫本しか買わない理性は―――。・・・・す、少し残ってます!
はりぽたの新刊を我慢していた受験期が懐かしい今日この頃。京極堂シリーズの新刊「鵺の碑(ぬえのいしぶみ)」はいつでることやら。
―――いつ文庫版になることやら・・・・・・泣
日記のタイトルの王座はまちがいなく京極夏彦先生です。
そんな京極夏彦の大ファン、ミレですこんばんわ。
京極作品で一番好きなのは京極堂シリーズです。
これは一冊が分厚いことで有名で。
一番短い「うぶめ」が600ページくらい。
平均が800から900ページでしょうか。
番外編の短編集は一話が普通の本一冊分だろうっていう250から300ページが3話で、800ページほど。
一番長い「絡新婦の理(じょろうぐものことわり)」が1400・・・・・。
一冊500から600グラムあるとか。
本が自立するとか。(縦にしたときにパタンって倒れない!)
こんな噂はすべて本当ですよ!
(京極堂シリーズ以外は結構普通のページ数です!)
そんなシリーズが番外編を含め、文庫版で13冊でてます。
ファンになってから怒涛のように読みあさったミレの感覚は狂いっぱなしです。
普通の300ページくらいの本は「なんて薄いんだ!」
600ページと少しある「うぶめ」は「薄いよねー」
800ページの番外編は「今回は結構薄いな」
特に前作の「陰摩羅鬼の瑕(おんもらきのきず)」が1200ページくらいあったから、最新刊「邪魅の雫(じゃみのしずく)」の1300ページほどが「普通」と思ったとか。
どんどん失われてく普通の感覚。
分厚くても面白くなければそれまでなわけで。そういう意味では京極先生の作品は面白すぎてヤバイ!!
途中で止めるのが苦痛です。
バイトの休憩中に読んで、休憩が終わったときの心境は「うわああああぁぁ!つ、続き!!気になるヤバイ面白い!!」です。
バイト中思い出してはにやにや。
実はミステリーは松本清張で挫折して以来苦手でした。
建物、現場とかのイメージがわかないから読んでてもわからない。でも事件は勝手に解決していって、その説明もわかるようなわからないような――・・・と。
その点京極作品は読者をほったらかしにしている感があるから逆に読みやすいです。考えなくていい。
「妖怪小説」っていっても実際に出てきません。犯人に「○○という妖怪が憑いている」と京極堂(古本屋)が言うだけで、登場はしません。
説明も論理的。「非常識」って思われるのを納得させるのが妖怪のような感じです。
「じょろうぐも」は複雑に見えるけど事件の構造自体は簡単で、それをああ仕上げるのがすごいです!(ミレの一番好きな本です)
京極堂は陰陽師ですが陰陽師の式神も論理的に説明。
他人の記憶が視える榎木津(探偵)の能力も。(実際どうかはともかく説明は論理的)
初めて手に取った時は「ああ分厚い」と普通の感覚を持ってたけど、ぐいぐい読めちゃうのも魅力です。っていうか止まんない。
「邪魅」のあとがきで西尾維新が言ってるみたいにストレスなく読めます。
ページをまたぐ文章がなかったり。
「---」や句読点で絶妙な間を置いたり。
難しいのは題名だけで中身は面白すぎます。
ところどころにギャグが置いてあるのも好き。
面白すぎて分厚くてもやめられない。
続きが気になって他のことが手に付かない(とまではいかなくてもバイト中のミレみたいに思い出してはにやにやしちゃうはず)
読み終わってもやばいくらいに面白いから思い出してはにやにや。お気に入りの場面を読み返したり。
中毒。
もし私が受験生だった時に京極夏彦作品に出合ってたら――――。
ヤバかった。
友達に勧められて本屋でデビュー作の京極堂シリーズ1作目「姑獲鳥の夏(うぶめのなつ)」を探しに行ったらおいてなくてかわりにシリーズ2作目の「魍魎の匣(もうりょうのはこ)」を買って読んで。
落ちました。垂直に高速墜落。
それから京極堂シリーズを買いあさり読みあさり、京極堂シリーズじゃないのにも手を出し。使ったお金は―――後悔してないから考えない!まだ文庫本しか買わない理性は―――。・・・・す、少し残ってます!
はりぽたの新刊を我慢していた受験期が懐かしい今日この頃。京極堂シリーズの新刊「鵺の碑(ぬえのいしぶみ)」はいつでることやら。
―――いつ文庫版になることやら・・・・・・泣
日記のタイトルの王座はまちがいなく京極夏彦先生です。
そんな京極夏彦の大ファン、ミレですこんばんわ。
京極作品で一番好きなのは京極堂シリーズです。
これは一冊が分厚いことで有名で。
一番短い「うぶめ」が600ページくらい。
平均が800から900ページでしょうか。
番外編の短編集は一話が普通の本一冊分だろうっていう250から300ページが3話で、800ページほど。
一番長い「絡新婦の理(じょろうぐものことわり)」が1400・・・・・。
一冊500から600グラムあるとか。
本が自立するとか。(縦にしたときにパタンって倒れない!)
こんな噂はすべて本当ですよ!
(京極堂シリーズ以外は結構普通のページ数です!)
そんなシリーズが番外編を含め、文庫版で13冊でてます。
ファンになってから怒涛のように読みあさったミレの感覚は狂いっぱなしです。
普通の300ページくらいの本は「なんて薄いんだ!」
600ページと少しある「うぶめ」は「薄いよねー」
800ページの番外編は「今回は結構薄いな」
特に前作の「陰摩羅鬼の瑕(おんもらきのきず)」が1200ページくらいあったから、最新刊「邪魅の雫(じゃみのしずく)」の1300ページほどが「普通」と思ったとか。
どんどん失われてく普通の感覚。
分厚くても面白くなければそれまでなわけで。そういう意味では京極先生の作品は面白すぎてヤバイ!!
途中で止めるのが苦痛です。
バイトの休憩中に読んで、休憩が終わったときの心境は「うわああああぁぁ!つ、続き!!気になるヤバイ面白い!!」です。
バイト中思い出してはにやにや。
実はミステリーは松本清張で挫折して以来苦手でした。
建物、現場とかのイメージがわかないから読んでてもわからない。でも事件は勝手に解決していって、その説明もわかるようなわからないような――・・・と。
その点京極作品は読者をほったらかしにしている感があるから逆に読みやすいです。考えなくていい。
「妖怪小説」っていっても実際に出てきません。犯人に「○○という妖怪が憑いている」と京極堂(古本屋)が言うだけで、登場はしません。
説明も論理的。「非常識」って思われるのを納得させるのが妖怪のような感じです。
「じょろうぐも」は複雑に見えるけど事件の構造自体は簡単で、それをああ仕上げるのがすごいです!(ミレの一番好きな本です)
京極堂は陰陽師ですが陰陽師の式神も論理的に説明。
他人の記憶が視える榎木津(探偵)の能力も。(実際どうかはともかく説明は論理的)
初めて手に取った時は「ああ分厚い」と普通の感覚を持ってたけど、ぐいぐい読めちゃうのも魅力です。っていうか止まんない。
「邪魅」のあとがきで西尾維新が言ってるみたいにストレスなく読めます。
ページをまたぐ文章がなかったり。
「---」や句読点で絶妙な間を置いたり。
難しいのは題名だけで中身は面白すぎます。
ところどころにギャグが置いてあるのも好き。
面白すぎて分厚くてもやめられない。
続きが気になって他のことが手に付かない(とまではいかなくてもバイト中のミレみたいに思い出してはにやにやしちゃうはず)
読み終わってもやばいくらいに面白いから思い出してはにやにや。お気に入りの場面を読み返したり。
中毒。
もし私が受験生だった時に京極夏彦作品に出合ってたら――――。
ヤバかった。
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